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魂が若返る学びかた

こんにちは、

ゆにわ塾講師の西野です。

こんにちは、

ゆにわ塾講師の西野です。

 


突然ですが、

「3年目の壁」を、

ご存知でしょうか?


おもに、転職や今後の進退について

迷いが生じる時期として言われます。


この3年目の壁は

どの分野においても

(学びにおいても)

必ずぶつかる壁です。



誰しも、その道に入ったばかりのときは

あらゆるものが目新しく

まるで乾いたスポンジのように吸収していきます。


ですから、

目に見えて変化を感じやすいものです。


しかし、3年、5年と

(人によっては10年と)

学んでいくほど

次第に慣れてきて

最初のころの変化を感じられず

停滞(プラトー現象)しやすくなります。


その時に、多くのひとは

あるいは投げ出し、

あるいは現状に満足し、

 

「こんなもんかなぁ」


と、中途に分かった気になって

となりの芝(他のこと)に

興味を持ち始めるのですね。


「この話、聞いたことあるな」

「だんだん、できるようになってきたな」

「色々、変わってきたな」


そういった〝慢心(まんしん)〟が

出てきたとき‥


ここが、一気に突き抜ける人と

いつまでも変われずにいる人との

分水嶺(ぶんすいれい)となります。



どの道においても


「だんだん、変わってきたな」


といった

〝修行の臭(くさ)み〟

が出てくると

最初の勢いが衰えて

伸び悩んでしまいます。


悪く言えば、

初心(うぶごころ)を

失ってしまう。



わたしたちの間でも

最近、名前が上がるのは

古株でも新参でもない

5年目〜8年目の中堅。


ボクも、そのひとりです。


神様から

糺(ただ)していただく機会が多くあります。


しかし、信仰の道というのは

ここからが本番である、とも教わっております。


ですから、ひとつの神試(かみだめ)し

だと思うのであります。





もし、人生が物語だとするならば

必ず「お前、それ本気か?」と

試されるときがくる。


ここで〝竹〟をグッと掴んで

伸びていく修行がいる。


「大体、分かってきたな」


と思った時点で

〝道〟からは遠ざかる。


〝道〟とは、極みがないもの。


掃除ひとつ、

「目の前」と向き合えば

宇宙創生の歴史が詰まっている。


ここでもう一度、

真っ白な気持ちで

知っている話も初めて聞くように受け取ること。


すると、その道はさらに深まっていく。



そういえば最近、

あらためて、

北極老人の秘書マットから

師と出会ったときの話を聞きました。


何度も聞いている話なのですが

ほんとうに、すごい出会い方だなぁ、と

とっても学び多き経験となりました。


知識で、というよりも

その物語に流れている〇流に触れる感覚。


太子と親鸞

如浄と道元


もそうですが、

未来の師と弟子が出会うタイミングには

莫大なエネルギー(神様)が動いています。


これまでの一個人の人生のみならず

家系の徳分、カルマ、輪廻 etc..


運命を変える出会いの瞬間のために

すべてが、その一点に凝縮されていく。


ですから、そのような物語は、

何度、聞いても神様の気を

感じることができるのであります。


〝神様が動いたとしか思えない〟


という偶然と体験を

どれだけできる(感じられる)か。


同時に、

そのような物語にどれだけ触れられるか。


それこそが、ひとの人生に

彩りを与えていくものであります。


だからこそ、

背後で動いている

神様の歴史を知ることは

とても「尊い」ことであります。



「ゆにわ」の連続講座は、

〝ただ知識的〟に、神社や歴史、神様を

学んでいただきたいとは思っておりません。


なので、極論、

ちゃんと覚えてなくてもいいのです。


いくら、

覚えた、理解した、納得したところで、

〝魂の栄養〟になっていなければ

真の学びにはなりません。


わたしたちは、神社や歴史を通して

「いかに神様の気に触れられるか」を

何よりも大切にしております。


神様の気に触れる絶対量が増えるほど

その人は、明るく、軽く、温かく、

魅力が増し、才能が目覚め、

魂が若返っていきます。


これぞ 

〝 Grow younger 〟



だからと言って、

知識的な勉強がいけない

というわけではなく、


はたして、その勉強が

「魂の栄養」になっているのか?


そのような学びをしていなければ

何百冊と読破できたとしても

死んだら何も残らない‥。


むしろ、

かしこい人(=頭重心)ほど、

毎度、一定ラインで頭打ちして

大成できない人が多い、と言われます。



ここで思い出されるのが、

ブッダの十大弟子のひとり

周梨槃特(しゅりはんどく)。


彼は、まるで勉強ができません。


何をやらせても、上手くできない。

周りにもバカにされる。


お釈迦さんの話を聞いても

そのほとんどは理解できず

すぐに忘れてしまいます。


でも、話をぼんやり聞いているだけで

彼はしあわせでした。



しかし、

自分のあまりの才能のなさに落ち込み

門をあとにしようか、と迷います。


そのとき、お釈迦さんから


「自(みずから)らの愚を知る者は、真の知恵者である」


というお言葉をもらい、

一筋の光明を見い出します。


そして、ほうきを一本もらい、


「 垢(あか)を流し、塵(ちり)を除かん」

と唱えながら掃除することを教わり

その日から懸命に続けるようになりました。


しばらく経って、

お釈迦さんに


「どうでしょう、綺麗になりましたでしょうか?」


と聞いてみると


「ダメだ。」


と言われ、それからまた、

一心に掃除しました。


ある日、せっかくきれいにした場所を

子供たちが遊んで汚したことがありました。


彼は思わずほうきを振り上げ

「このバカもの!汚すんじゃない!」

と怒鳴って追い払おうとします。


その瞬間、彼は

本当に汚れているところに

気がついたのです。




そうして彼は、煩悩を超越し

小乗仏教では最高の悟りのひとつ

とされている阿羅漢(あらかん)に

到達したのでした。


まさに彼は、掃除を通して

〝魂の栄養〟となる本物の学びを得たのです。


この周梨槃特(しゅりはんどく)のように


お茶を通して

料理を通して

仕事を通して

主婦を通して


悟る人もいるでしょう。


もちろん、人には

向き不向きがございます。


ですので、


「そんなこと、自分にはできない」


というものもありますが、

それでいい、と教わっております。


だからこそ、

毎年、ゆにわでは

連続講座を通して

様々な修行法を学びながら

その年のエネルギー、勢いを使って

今、動いている神様の気をいただくのであります。


その中には、

非常に簡単にできるもの

なかなか実践はむずかしいもの

様々ございます。


その時代や環境、状況(空気)に応じて

変わっていくものです。


なので、何かひとつでも

自分に〝ピタッ〟とくるものがあれば

それをやればいい、と教わっております。


そして、ずっと心に残っている言葉が

ひとつでもあれば、

それこそが魂の栄養となる

〝至言のひと言〟でありましょう。


それが

〝神学び〟であり、


真の意味で

ひとの人生を変える学びになります。


ゆにわの連続講座では

そのような本物の学びを

していただきたいと思っております。



ですので、


・さらにここから突き抜けていきたい人

・どこにいても密度の濃い日々を送りたい人

・想像を超えた人生を歩みたい人


は、ともに学んでいけましたら嬉しいです。



ということで

今回は〝神学び〟についてでした。


ありがとうございました。



西野ゆきひろ


追伸;


4月には、いよいよ

今年の新たな連続講座が開幕します。


新講座:

「十種神宝(とくさのかんだから)」

は、宇宙大のお話になっていくと思います。


世界のどこに行っても聞けない、

いや、リアルタイムで聞けるのは

1000年に1度、今生限りかもしれません。


神様にすがるのではなく

神様とともに道を歩みたい方は

ぜひ、飛び込んでください。


必ず、豊かな人生の後押しとなります。


そして、大切な人たちへ

受け取ったバトンを

繋いでいきましょう。


ともに美しい景色が見られますように。



新講座「十種神宝」ご案内ページ:



「十種神宝」オープニングセミナー

リアル・オンラインで開催します。

詳細はこちらからご覧ください。


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