こんにちは、
ゆにわ塾セミナー講師の西野です。
今回は、
精神性を高めていく
ことについて、
師匠〝北極老人〟から
教わっている
その目的と体験する変化
に触れていきます。
*
昨今、『ゆにわ』では
YouTubeなどでも
「霊格(れいかく)向上」
というテーマでお話する機会が
多くございます。
わたしたちは、
ひとりとして例外なく
仕事を通して
夫婦を通して
遊びを通して
学問、宗教、芸術を通して
霊的(精神的)な境地を
高めていくための修行をしています。
ですから、
いくら仕事に忙しく追われて
タスクをこなしていったとしても
そこに霊的成長が伴わなければ
死んであの世に行ったときに
「あれ、、なんの学びもなかった‥」
「あれ、、今まで何やってたんだろう‥」
最後には虚無しかなかった‥となります。
つまり、
仕事にしても
家事にしても
あらゆる
些事茶飯(さじさはん)を
面倒くさがったり
イヤイヤやったり
違うことを考えながら行ったことは
なんの修行にもならず
むしろ、目の前(この宇宙)を
乱していくばかり、になります。
さて、そんな
人生の意味でもある
霊的修行ですが‥
境地が低い人の特徴を理解すると
境地が高くなる変化について見えてきます。
では、境地が低くなったとき
人はどんな思考に陥るか?
まず、今の自分の現状(人生)を
いつも誰か(何か)のせいにしています。
「こんな自分になったのは、
あのときにいじめられたからだ」
「仕事がうまくいかないのは
同じ部署にあの人がいるからだ」
「あの両親のせいで
自分の人生は最悪になったんだ」
…といったように。
人生を自分で切り開こうとせず
ずっと、何か(や環境)のせいにして
一切の責任を追わず
努力しなくていい言い訳をし続けます。
そして、予定や計画を立てて
自分の思い通りにいかなくなると
すぐに不平不満を漏らします。
「せっかくの休日なのに
雨が降るとか最悪」
「あ〜あ、もうやる気なくした」
「ここが足りない、あれがいけない」
…と言ったように。
すべてを自分の思うようにいかせたい、
そのように自己中心的になります。
ちなみに、
これら上記にあげたものはすべて、
かつてのボクが思っていたことです。汗
しかし、師匠や同門の仲間に
たくさん教えていただくことによって
少しはなくなってきまして、
とても生きやすくなりました。
そして、あらゆることで
良き経験、良き思い出が増えたのであります。
そして、役割や活動の場が
変わっていったのであります。
もちろん、ボクはまだまだ
修行の身であることは言うに及ばず…
ただ、思い通りにいかなかったとき
予定が崩されたとき
問題が発生したときに
その人の「境地」が現れやすくなります。
でも、それらの「お陰で」
想像をはるかに超えた展開へと
発展していくのであります。
それらが、じつは
神様からの「フリ」である場合が
ほとんどなのです。
そして、霊的境地が上がっていくと
色んな才能が目覚めていきます。
例えば、味の分からなかった人が
繊細な味の違いが分かる茶人になったり・・
デザインセンスの絶望的だった人が
玄妙で優美な香りを生み出す調香師になったり・・
勉強などまるでしてこなかった人が
心を打つ文章が書けるようになったり・・
また、境地の高い人が淹れるお茶を飲めば、
美味しい以上に、悩みが消え、
心が洗われて温かく爽やかな気持ちになったり。
その人の料理を一口食べれば
思わず感動して、優しく、前向きになったり。
その人の言葉に触れれば
勇気、やる気が奥底から湧き上がってきたり。
そう、霊的境地が上がるにつれて
心が明るく、軽く、温かく、熱く、
前向で、発展的になり、
やる気が湧いて使命感に燃えるようになります。
また、どんな事からも学んで、
未知なることでも習得が早くなります。
そうして、人生の密度が濃くなって
豊かな日々に変わっていきます。
そのような人は、一緒にいるだけで
周りの人を明るく照らしていくので
ますますしあわせな波動が広がっていきます。
つまり、
自分が霊的境地を高めていくことは、
自分の魂を目覚めさせていくのみならず、
そのまま、この人類を救っていく道へと
直結していくのですね。
じゃあ、どうやったら
霊的境地を高めていけるのか?
それには、2つございます。
1つは、自助努力。
もう1つは、神気(しんき)をいただく。
自助努力とは、
日々の姿勢によるもので、
「どんな気持ちで取り組むか?」
によって、
同じ物事に取り組んだとしても
成長はまるで雲泥の差になります。
なんとなく、
「心ここにあらず」な状態でやる‥
あるいは、
「自分の満足を満たす」
ためにおこなう‥
これらは、
どれだけ時間をかけても
1mmも霊的な成長はありません。
死んだら、何も残らなくなります。
だからこそ、何かをおこなうときには
「させていただく」気持ちを込めて
仕えるように祈り、丁寧に取り組んでいくこと。
あらゆることを
心を磨くようにおこなう。
これは、日常からできることです。
そして、もう1つは、
神様の神気をいただくこと。
神様の神気というのは
繊細微妙(せんさいびみょう)
なものでして、
普通に生きていては
そう簡単に受けることはできません。
そもそも、今の人類は、
快楽主義が台頭し、
ますます動物的になり
波動が低くなっております。
なので、高尚(こうしょう)なる神気には
なかなか巡り合うことができません。
そして、ひとりで神社に行っても
より高い神気が降りることは滅多にありません。
(神様が降りられないこともあります。)
だからこそ、
わたしたち「ゆにわ」では、
準備をした上で、団体参拝を行っています。
大きな気(エネルギー)を使って
神様に動いていただくのですね。
そのためにも、
スタッフは神社に何度も足を運び
宮司さんとの関係を築き、
そこにおられます神様と親しくなり、
「自分も成長し、みんなしあわせになってほしい」
「世の中が今よりもっと良くなってほしい」
という、同じ想いを持つ大勢の仲間たちと
心をひとつにして熱烈に祈ります。
▲6/23(日)に行われた三嶋大社の団体参拝
境内では、周りを見渡せば
たくさんの同志が真剣に祈っているので
断然、深く祈ることができます。
その体験は、
ひとりや身近な人だけでの参拝では
けっして得られるものではありません。
▼参加者の感想
ーーーーーー
拝殿にみなで集まったとき、上半身は自然と軽くなり
丹田にエネルギーが溜まっていくような感じがありました。
その後、一人でお祈りをしているときも
その時の感覚を保ちながら祈ることができ、
周りを気にせず、心から祈ることができました。
団体参拝での祈祷の時間は、
皆さんの祈りが集まって一つになっている感じで
一人での参拝では絶対に味わうことのできない空気を感じました。
ーーーーーー
ーーーーーー
とてもよかったです。
空気感がひとつになる感覚は
とても感動しました。
いつも感じるのは、バスに乗ってすぐに
北極老人先生、みなさんのあたたかみを感じて
感動に包まれます。ありがとうございます。
ーーーーーー
▲6/23(日)三嶋大社の団体参拝後の記念撮影
そして、『ゆにわ』の団体参拝では、
参拝後に〝直会(なおらい)〟がございます。
直会とは、
神気の宿った食事をみんなでいただき
体の内側から直接受け取ります。
また、一緒に参拝した仲間たちと
交流する時間もございます。
▼6/23(日)三嶋大社参拝を終えた直会にて
心と体、どちらからも
神気を受け取って、染み込ませて
記憶に残る体験をしていきます。
*
霊格を高めていくうえで、
人生でどれだけの神気を受けたか、
というのは、たいへん重要です。
温かみを広げていくためには
自分が温かみを体験する必要があるように
自分の感覚や境地を高めるためには、
より崇高な神気を受けていくことが大切です。
そして、最初は分からなくても
何度も経験していくうちに
必ず分かってくるようになります。
何を隠そう、わたし自身が
波動の荒い状態に慣れ親しんでいたので
最初は、神気というものを
まるで分かりませんでした。
しかし、師匠〝北極老人〟に
神気をお取次ぎしていただいたり‥
団体参拝を通して
神様の降りている崇高な空気を
感じられるようになっていきました。
そうやって、
みるみる感覚、考え方、人生が
変わっていったのであります。
そして、今回の三嶋大社の主祭神は
大山祗命(おおやまつみのみこと)。
この神様は、
色んなお働きがありますが、
自分の霊的な境地を上げる際に
「後ろから」背中を押してくださる
という功力(くりき)がございます。
この静岡の三嶋大社に
ゆにわで団体参拝するのは
最後になる可能性が高いです。
6月30日(日)
最後の日程はご参加できますので
参加したことない方も
ふるってご参加ください。
当日のスケジュールは以下の通りです。
ーーー
6/30(日)
10:00 静岡駅集合、バス乗車
11:15 三島大社参拝
1245 参拝終了、バス移動
14:15 直会開始
15:30 終了、解散
ーーー
「三嶋大社」団体参拝
最後の日程へご参加はこちらから
ぜひとも、
素晴らしい神社参拝の体験を
していただけたらと思います。
みんなで神気をお迎えして
真の魂の栄養になる参拝にしていきましょう。
この記事は「ゆにわマガジン」のバックナンバーです。
メールマガジンで最新号をお読みいただけます。