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ゆにわ

ゆにわ塾会員さまのご自宅訪問レポート(奈良県生駒市・吉田喜代子さんご夫妻)

新企画として、ゆにわ塾会員様のご自宅に取材にうかがいました。

(取材、記事、写真:川嶋政輝)


今回は、11年前にゆにわに出会ってから、ゆにわ流のライフスタイルをずっと続けておられる吉田さんご夫妻のお宅へ。


吉田さんは、2018年に奈良県生駒市の山里に建てた自然素材の住宅に、ご夫婦で穏やかに暮らされています。


この日は、娘の木村有希さんと、そのお子さまも一緒に、にぎやかに出迎えてくださいました。


ゆにわでの学びが散りばめられた、田舎暮らしをレポートいたします。




川嶋政輝(以下、川嶋)吉田さんのお宅のことは、ほかの会員さんから噂で伺っていました。『あのウチは、まるでゆにわのショールームみたいになってて、すごいんですよ』って。本当に空気もよくて、家のなかも木のいい香りが漂って、落ち着きますね。





吉田喜代子(以下、喜代子)ありがとうございます。まさかこんな暮らしができるなんて、思いがけないことでした。



川嶋 どういった経緯で、この場所を選ばれたんですか?



喜代子 この近くにある河内磐船神社にお参りしたあと、ドライブしていたんです。するとたまたま、この辺りの素敵な一戸建てを見つけて。その家を建てた建築士さんにお会いすると、すごくいい方で、この場所に決めました。





吉田盛次(以下、盛次)工事をはじめるにあたって基礎の段階で敷地の四隅に、ゆにわの風水結界を埋めました。それから高山八幡宮の鎮め物(土地の神様へのお供え)を真ん中に埋めてます。



川嶋 そうだったんですか!



喜代子 主人が自ら埋めたんですよ。工事が始まってからも、しょっちゅう様子を見に来ては、羽賀ヒカルさんの大祓祝詞の音声を流して、お祈りしていました。そしたら不思議なことに、綺麗な蝶がひらひらと寄ってきたんです。



川嶋 それは思い入れが深まりますね。







喜代子 こんな暮らしをさせてもらってるのも、神様の後押しあってのことです。大工さんが立派な神棚を設置してくださって、毎朝そこで、お参りさせていただいています。



盛次 家を建てるにしても、最終的には神様ありきですよね。住みたいと思っても、まず物件がなかったら無理ですから。以前は摂津市に住んでいましたが、そこでも氏神様にお願いしてました。『高山八幡さんに話をつけてくれ』ってね。


その後、橿原神宮、大神神社にもお参りしました。そうしているうちに、ここが見つかって、『住んでいいよ』と許可をいただいたように感じましたね。それからは、なにごとも滞りなくいきましたね。建築士さんも、親身になってくれる人でした。






喜代子 4年前の4月に引っ越しをしたんです。桜の季節で、ここでごはんを食べているとき、花吹雪がぶわっと見えてね。うわぁ、と思って、家中の窓から見て回ったんです。すると桜の花びらが部屋中に舞うのが見えて、その瞬間に家の空間が〝上がった〟という感覚があったんです。


そのとき思いました。「これは私たちの家じゃない」って。


私も主人も、神様からいただいた家の、管理人さんなんだって。


そんな気持ちで、生活をさせていただいています。すると、特別なことをしているわけではないけれど、いろんな方が集まってくださるし、助けてくださる。



川嶋 そうでしたか。ご夫婦で神様を大切にしていらっしゃるんですね。もともと、ゆにわに通われていたのは喜代子さんだけでしたよね?



喜代子 そうなんです。主人は私のアッシー(運転手)でした(笑)。はじめは、私だけがハマったんですよね。ゆにわに出会うまでは、食事はお腹を満たすためだけのもの、という感覚でした。


けれど、ゆにわのごはんは、じわーっと染み渡るように、なつかしい感じがして……。あのときから『ここは本物だ! 一生ここでお世話になろう』って、心に決めました。



川嶋 すごく展開が早いですね。ご主人も一緒に来られるようになったキッカケはあったんですか?



盛次 あったんですよ。僕が64歳で退職をした日です。会社で花束をもらって、その足で『御食事ゆにわ』のディナーをいただきました。



川嶋 喜代子さんが計画されたんですか?



盛次 いや実は裏話があって、もともと妻が予約していた相手がドタキャンになったんです。だから僕が代わりに呼ばれたんです。



喜代子 そうやった? 忘れてるわ……。



盛次 そこでちこさんに「お疲れさまでした」と言ってもらったんです。それが初めてゆにわの食事とちゃんと向き合った日でした。玉ねぎを10日間、太陽にあてて甘みを増した「太陽玉ねぎのスープ」が思い出深いですね。つまりね、キャンセルが出てなかったら、僕はまだ、この輪に入れてなかったんですよ。



喜代子 ぜんぜん覚えてない~(笑)でも、聞けてうれしいです。私はゆにわのことを気に入ってるけど、「いいのよ、いいのよ」と、他人に無理強いするのではなく、私自身の実践が大切だと思ってるんです。そうすると家族が自然と変わっていったんですよね。



川嶋 ご主人は、ゆにわにどんな印象を持たれていたんですか?





盛次 ゆにわは、スタッフの方も、店構えも、みんなやさしいんですよ。だから、入っていってくつろげたというか。


『べじらーめんゆにわ』ができたときも、いつものスタッフさんがいて、広く空いた空間で、らーめんが出てくるのを待つ。


ただ、待つ。いらいらすることもなく、空間を楽しみながら、時間を楽しむ。


そんな雰囲気があって、ホッとできた。


 そういう気持ちになれたのは、ほかにも理由があって。毎月届くゆにわ塾のCDを聞いていたんです。そこで羽賀ヒカルさんが話されていることが、自分なりに納得できたんです。あのときは、まだネットも繋がっていなかったので、メディアに飢えていたんです。だから毎月一回、届くのを楽しみにしていました。



喜代子 えー! そうだったの!?



川嶋 有希さんは、そのころ子育て中だったんですか?







木村有希(以下、有希)そうですね。私は目の前の子育てに精一杯で、当時のことは覚えていないくらいです。



喜代子 夜泣きがひどかったので、娘はフラフラでした。散歩でも行けば? と言っても、動かない。いや、動けなかったんでしょうね。じゃあ、私は何ができるかと思って、ひたすら掃除をして、ごはんを作っていました。



有希 もともと、私も母と同じ時期に、ゆにわには出会っていたんですけど、その頃はまだ若くて、人生に対する問題意識も抱えていなかったので必要性がわからなかったんでしょうね。


でも、いざ子育てで大変なときに母のごはんで元気になってきて「母が通ってるゆにわって、なんかいいところなんだな、ということがわかったんです。


そこから興味をもって、最初は『ゆにわマート』の商品から生活に取りいれていきました。最近では、私の夫もよく理解してくれていて、ゆにわに関しては(お金使っても)いいよ、と言ってもらってます。


家事とかも積極的に手伝ってくれるようになってきて。彼もきっと元気になってきているんだろうなと。





喜代子 ゆにわのスタッフのみなさんは娘と同い年くらいなのに、話されていることはすごいってわかるんですよ。


北極老人に直接お会いすることはなくても、スタッフのみなさんの背景にいらっしゃるということは、いつも感じていましたから。


北極老人のことを考えると、涙が出てくるんです。


ゆにわで伝えてもらうことは、だれもが実践できることばかりで。そのような教えを伝えてくださっていることが、本当にありがたいなと思うんです。


私がなぜ11年も通い続けてるかっていうと、親の介護がめちゃくちゃ大変だったんですよ。それが、ゆにわで学んでいくなかで状況が良くなって、理想的な形で看取ることができた。だから、このゆにわの教えのすごさをみなさんにも体感してほしいと思っています。

 

今日は、まさかうちの家にスタッフさんが来てくださるとは思っていませんでした……、でも実は「いつか一人でもいいから、ゆにわの方が来てくれたらなぁ」って、『ドラゴンノート(願望成就ノート)』に書いて願ってたんですよ。


この家を建てる前にも、「こんな家に住めたらなぁ」と、ノートに絵を描いてましたが、後から見返したら、「あっ、叶ってる!」ということはたくさんあります。ありがたいことです。



川嶋 こちらこそ、今日はいい時間を過ごさせていただいて、ありがとうございました。




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